小説/『長い別れ』

読書会参加後の感想ポストなので、いろいろ混ざっているかもしれない。

私は本格ミステリー小説読みだけど、それとは別のところにある引き出しで『長い別れ』をとても良い話だ思っている。

初読のときに読んだ本は、村上春樹さんの『ロング・グッドバイ』だった。

『長い別れ』

www.tsogen.co.jp


幕開け

一行目から、フィリップ・マーロウが語る、テリー・レノックスとの出会いの話。

様々な体験を経たマーロウが、「レノックスは、殺人を自白し、死んだ」と聞かされてオープニングが終幕するまで、短いページの中に濃厚なエピソードが綴られる。

この長い物語の最も重要といえる一幕を、あっという間に描き切るページの使い方がこの上なく贅沢だ。

今までの、「依頼人とのシニカルでちょっとオシャレな(ともすると冗長な)会話」で幕が開くことが多かった過去の長編作品と比較をすると、冒頭にサビをもってきているというか、この本だけ飛びぬけて垢抜けた感じがする。

死別と日常

殺人事件、尋問と拘留、友との死別という大きな出来事を経て、マーロウは私立探偵業に復帰する。タフな男には、タフな男なりの日常がある。

私は、ドラマのサブエピソードのような、このパートがとても好きだ。

裏の仕事をしているらしい医者から夫を奪還してくれという妻の依頼、犬が殺されそうだという依頼、間男と逃げた妻を探してほしいという夫の依頼…。

けれど。

大きな出来事を忘れ現実を生きているように見えて、苦く重たいものを抱えるように、マーロウは、死の直前にレノックスが送ってきた手紙のことを忘れられない。

好きなワンシーン

富裕層専門の興信所に勤める調査員から情報を探り当てて、粛々と仕事をしているパートが好きだ。

マーロウ、ちゃんと探偵らしい仕事をするし、友達に信頼されているんだなと感じられてうれしい。

この本のマーロウは、他人から信頼を寄せられることが多いので、そういった相手との会話を楽しく読むことができる。

美しい女たち

『長い別れ』にはわずかな人数の女性が登場し、マーロウに接触してくる。

・シルヴィア(故人。顔をつぶされた姿で死んでいた)

・リンダ(演:冨永愛)

・アイリーン(演:小雪)

演者さんの情報は、2014年放送のNHKのドラマから。これがとてもキャラクターのイメージとマッチしているので、本を読むときもこのキャスティングを思い浮かべながら読んだ。

ちなみに、テリー・レノックスを演じたのは綾野剛だ。

レノックスはとんでもない男で、マーロウ自身「やめろよそういうの。そういうとこだぞ」という思いを隠すことなく口にするのに、なぜ助けてしまうのか。

相手が綾野剛だったらそうしてしまうね、と納得するしかない。

殺人犯

事件の全貌・犯人をほぼほぼ覚えていられないチャンドラー作品の中でも、『長い別れ』だけは、真相をよく覚えていた。(シリーズの中でも、真相がかなりシンプルなほう。)

再読で犯人のマーロウに対する接し方を改めて追ってみると、「なるほど、確かにそういう心理状態の行動だ…」と思えた。

「犯人が被害者の遺体の顔をつぶした理由」がとても興味深い。


「殺人」という極限の出来事を通して、ある種の”友情の妙”が描かれていく。

「誰かの姿を見えなくなるまで見送る」という普遍的なシーンの余韻が強く残る。

私がこういうときにいつも思い出すのは、映画『スターウォーズ』で語られた「夕日が沈むのを止められないように、別れを避けることはできない」という台詞だ。

儚く美しく描かれる「でもごめん。無理だから」

この後書くことは、読書会で特に議論されたテーマを含むので、もし参加する前にポストを書いていたら、この先の数行はやや違った内容になっていたはず。

(以下、物語の展開への言及があります)

 

 

 

 

ある場面。

私と同じレベルの言葉で表現するなら「君は優しく、勇敢で、人好きのするいいやつだ思う。でもごめん。無理だから」と言っているのだと思った。

マーロウは、レノックスが心からの感謝の証として贈った「マディソン大統領の肖像画」つまり5千ドル札を決して受け取ることができない。それは、物語を読み進めればおのずとわかってくる通り、彼がそういった価値観とは最も遠い場所に立っている人物であるためだ。

レノックスが自分のことを、やくざの親分と同じ位置づけの「友人」とみなすことも拒絶する。

どうして友人だった時期があったのかがもう解らなくなるほど、レノックスは「無理」な相手だったのだと、マーロウはある時ついに悟りに至る。あの真相を隠し通し、逃げようとする男に対し、なぜ親愛の情を抱いたのだろう。


この物語はマーロウの視点だけで語られる。けれども、レノックスも同じように、マーロウのことを「無理」だと感じたはずだ。

マーロウは、心からの感謝の証を頑なに拒む。

大事な友人たちの存在を受け入れてくれない…。


うっすら感づく、などではなくて、きっちりと引導が渡されるまでを描き切るところに、作家の力を感じた。物語とはこうであるべきだと思った。